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松山家庭裁判所宇和島支部 昭和42年(家)203号 審判 1967年10月27日

申立人 町田実(仮名) 外一名

被相続人 町田愛子(仮名)

主文

申立人町田実に対し金三八万円を、申立人細川安雄に対し金三八万円および別紙目録記載の動産を、それぞれ分与する。

理由

第一申立人両名の申立の要旨

(申立人町田実の申立の要旨)

申立人町田実は、昭和四一年一二年一日「被相続人に対し、相続権を主張する。」と申立て、その理由として

申立人は、被相続人の夫の長男であつて、昭和三七年六月二七日まで被相続人と同居しておつたもので、被相続人の特別縁故者に該当すると思料するので、被相続人の相続財産管理人が当庁に申立て、相続人捜索の公告をした機会に、被相続人の遺産について相続権を主張するものである。

と主張し、昭和四二年九月二二日上記申立の趣旨を「被相続人の遺産を申立人に分与する。」旨審判を求める旨訂正した。

当庁は、上記申立を相続財産分与の審判申立事件として立件(昭和四一年家第五〇三号)した。

(申立人細川安雄の申立の要旨)

申立人細川安雄は、昭和四二年七月一一日「被相続人の遺産を申立人に分与する。」との審判(昭和四二年家第二〇三号)を申立て

その理由として、

申立人は、被相続人と永年親族同様の交際をし、被相続人の病気中その看護をし、被相続人死亡後の葬儀等跡始末を行ない、その遺体は申立人の墓地に葬り、回向を続けておるものであつて、被相続人の特別縁故者に該当し、申立人は被相続人のため石碑を建立し、その法要を継続して行ないたいので、被相続人の遺産を申立人に分与せられたい。

と、主張した。

第二判断

(手続の経過)

本件手続の経過は次のとおりである。

(イ)  昭和四〇年七月一九日 被相続人死亡

(ロ)  同年八月一六日 細川利子(申立人細川安雄の妻)から、被相続人の相続財産管理人選任の申立(当庁同年家第三六三号)

(ハ)  同年九月一四日 被相続人の相続財産管理人として細川利子を選任

(ニ)  同年同月二五日 相続財産管理人選任の公告(期間二ヶ月)

(ホ)  昭和四一年一日一七日 相続財産管理人から相続財産の目録提出

(へ) 同年三月三〇日 相続財産について債権者受遺者に対する権利申出での催告の公告(期間二ヶ月)

(ト)  同年一一月一日 相続人捜索の公告(期間六ヶ月)

(チ)  同年一二月一日 申立人町田実の本件申立

(リ)  昭和四二年五月一日 相続人捜索の公告の期間終了

(ヌ)  同年七月一一日 申立人細川安雄の本件申立

(申立人町田実の申立の適法性)

申立人町田の本件申立は、上記のとおり相続人捜索の期間中になされたもので、その申立の趣旨と相まつて、相続財産の分与の審判の申立として適法であるか、疑問がないではない。

しかしながら、民法第九五八条第二項における、相続人捜索の公告期間の満了後三ヶ月以内に申立てをなすべき旨の規定は、右公告期間中において、相続人不存在を条件としてする申立を排除する趣旨ではないと解せられ、その申立の理由によつて見れば、それは同法条第一項の相続財産分与の審判の申立てをしたものと解することができるので、これを適法な申立として、請求の当否について審判するを相当とする。

(被相続人と申立人両名との関係)

関係記録の調査資料を総合すると、おおよそ次のごとき事実を認めることができる。

(一)  被相続人は、大正二年一一月一日に愛媛県北宇和郡○○○村大字○○○○○○○番地において、増田富子の婚外子として出生し、長じて富子とともに満洲に渡つていたが、終戦後富子とともに本籍地に引き揚げて来たので、申立人細川安雄の妻細川利子(被相続人の相続財産管理人)が遠縁に当るところから、同申立人夫婦が両名のため何かと面倒を見ていた。

(二)  昭和二六年ころ、被相続人は、当時○○○村で警官(巡査)をしていた町田大助の後妻として結婚したが、大助は間もなく警官を辞任し、その本籍地たる愛媛県越智郡○○町に引き揚げ、もちろん被相続人もそれにしたがい、一時富子を申立人細川のもとに預けていたが、しばらくして同人を引き取つた。

大助と被相続人の婚姻届は、昭和二九年四月二八日にいたつてはじめてなされ、被相続人が大助の戸籍に入籍した。

申立人町田は、大助の前妻綾子との間の長男であつて、被相続人が父親と結婚したとき一二歳くらいであつたが、それ以来被相続人と同居し、その監護を受けて来た。

(三)  大助は、○○町に引き揚げて後養父が死亡すると、相続財産のほとんど全部を売却して、その代金を資金として、○○市に出て、被相続人とともに旅館業を営んでいたが、昭和三七年二月三日に死亡した。

そこで、被相続人は、申立人町田と相談の上、旅館の建物を二五〇万円で売却し、その代金を申立人町田が一五〇万円と、被相続人が八〇万円とに分配し、申立人町田は、それを資金として農地等を買い求め、農業に従事し、被相続人は、余生を○○○村(当時○○町に変更)で送るべく、同年六月ころ申立人細川夫婦を頼つて引き揚げて来た。

(四)  被相続人は、一時申立人細川のもとに身を寄せていたが、間もなく近所に家を借りてこれに住み、申立人細川夫婦と親しい交際を続けていた。

被相続人は、上記旅館売買代金のほかに大助の恩給若干があり、つつましいながらも不自由なく生活していたが、昭和四〇年七月一九日に三日くらいのわずらいの後死亡した。

なお、富子はさきに死亡しており、○○町の町田家の墓地に葬られてある。

(五)  申立人細川は、被相続人の発病とともにその看護に当り、その最後をみとり、死亡後は葬儀を執り行ない、遺骨を自己の墓地に埋葬し、その後忌日の法要をはじめ、諸仏事の供養を続けている。

(六)  なお、申立人町田は、田畑約三五アールを所有し、妻とともに農業を営むかたわら、山林労務者として働き、年間四〇万円くらいの収入を得て生活しており、こどもが二人ある。

また、同申立人は、被相続人の遺骨の一部を亡父および富子の墓のある○○町の墓地に移して祀りたい所存であると、申述している。

(申立人両名に対する相続財産分与の可否)

(一)  上記事実関係から判断して、申立人細川が、被相続人と特別の縁故があつたものに該当することは明らかであつて、被相続人が相続財産の少くとも一部を、同申立人に贈与する意思があつたものと推察することができないこともなく、本件申立を容れて応分の分与をなすを相当とする。

(二)  また、申立人町田も身分関係自体から考えて、特別の縁故者であると言うことができるが、ただそれだけの理由により相続財産を分与することはいささか当を得ないと思料される。

しかしながら、被相続人が大助の死亡後同申立人と別居して生れ故郷に帰つたことは、当今の家族生活一般の在り方としては、むしろ当然なことであつて、同申立人と被相続人との親和感が、特に薄かつたものと速断することはできないし、このことを証明する資料もない。

少なくとも、大助の遺産の分割がほぼ公平に行なわれていることを考えると、両者の関係は、同種親族における世間なみの程度以下ではなかつたと推測することができる。

そうして、被相続人の相続財産全部が同申立人の亡父の遺産の一部であり、同申立人の家計が必ずしも豊かでないことを考え合わせると、同申立人に対しても応分の分与をなすことが、この財産分与の制度の趣旨に合致するものと思料される。

(相続財産の内容)

相続財産管理人細川利子に対する審問の結果と、同人提示の郵便貯金通帳および○○銀行○○支店預金通帳を確認した結果によると、本件相続財産は、現在(昭和四二年一〇月一日)

(イ)  別紙目録記載の動産

(ロ)  普通郵便貯金 四〇万〇、〇〇〇円

(ハ)  ○○銀行普通預金 三六万一、〇四四円

(ニ)  申立人細川に対する過払金の返還請求金 二万六、九三七円

(ホ)  (ロ)に対する昭和四二年四月一日以降の利息金 約七、二〇〇円

である。

上記(ニ)は、申立人細川が被相続人の療養費、葬儀費用等の立替金を財産管理人から受領するに際し、計算を誤つて過払いを受けたもので、相続財産(法人)が返還を要求できる債権である。

なお、上記(ロ)および(ハ)の預(貯)金は、被相続人死亡時においては、定額郵便貯金四〇万円、および○○銀行定期預金二口(三〇万円および三万二、四〇〇円)として預(貯)金されていたもので、財産管理人が解約して、上記申立人細川に対する立替金を償還し、各定期預金の利息を加算して預け替えたものである。

(財産分与の方法)

以上の考察にもとづき、相続財産のうち財産管理人に対する管理費用の立替金の償還金および報酬金として予定される約三万五、〇〇〇円を保留して、申立人町田に対し金三八万円を分与し、申立人細川に対し金三八万円および別紙目録の動産を分与するを相当と思料し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 水地巖)

(目録省略)

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